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猿の惑星ジェネシス

猿の惑星 創世記 ジェネシス

1968年(私が7歳の頃)に初めて映画化された、小説家ピエール・ブール原作の『猿の惑星

当時はまだ自分で映画館に行くということは無かったので、たぶん最初はTVで観たと思うのですが、まだCGなんてない時代に目以外(目は本物だから)はすごく精巧に造られたハリウッド・メイクに驚き、ストーリーの展開に引き込まれ、そしてあのラストの衝撃のシーン=傾いた自由の女神像に度肝を抜かれたのを、今でもよく覚えています。

その後、『続・猿の惑星』や『最後の猿の惑星』など続編も作られましたが、なんかだんだん話のつじつまが合わない部分も増えてきて、シガニー・ウィバーの『エイリアン』のように、続編が作られれば作られるほど設定に無理が出てきたようにも感じました。

人類の味方となる考古学者のチンパンジーは、『猿の惑星』映画版では確か「コーネリアス」、TV版では「ゲイラン」だった(?)ように記憶しています(間違ってたらゴメンナサイ)。猿の世界にも「ゴリラ」「オランウータン」「チンパンジー」など種族や力関係があるところなども、人類と似ててなかなかよく出来ていた作品と思います。

ただ、「なぜ地球が猿の惑星になってしまったのか?」という、そもそもの理由の部分についてはこれまであまり描かれてきていませんでした。その逆転の時代を描いた作品として登場したのが、今回の『猿の惑星創世記 ジェネシス』。ただ単に人類と類人猿の立場が入れ替わったという結果だけでなく、猿がなぜ人類を奴隷化するまでに至ったのか?を、猿側の人類への憎しみも込めて上手に描かれている点にも、改めて感心させられました。

『新薬』でも『原発』でもそうですが“人間が踏み込んではいけない領域”というのは常に存在します。これはまさしく、≪人類への警鐘≫と言える作品でしょう。

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ミニ炊飯土鍋

ほんわかふぇミニ炊飯土鍋(二重蓋)一合炊き

私は一人暮らしが長かったせいか、家事が大好きです。掃除・洗濯・片付けなどは、毎日綺麗にしておかないと気が済まないタイプです。ただ~し、そんな私が唯一苦手なのが『料理』
元々“好き嫌い”が多く、生まれつき“海鮮アレルギー”体質で、なおかつ“味オンチ”のため、料理だけはまったく出来ません。妻が亡くなって一年半。ずーっと外食ばかりで済ませてきました。ただ、もういい加減コンビニ弁当にもほっかほっか弁当にも飽きてきました。

最近のお気に入りは、夕方のスーパーのお惣菜。価格も当日中に売り切らなければならないので格安ですし、おかずの種類も豊富なので助かっています。ただ、いかんせん問題なのが、『ご飯が売り切れてしまっている場合が多い』ということ。それだけ家でご飯を炊かない人も増えてきているんですね~・・・

ご飯はやはり“炊きたて”が一番。ただ炊飯器だと小さなもので五合炊きサイズ位からしかありません。そこで何とか“毎回食べきりサイズでご飯が炊ける”ものはないかと色々探してみましたところ、ありました♪ありました♪。『ミニ炊飯土鍋一合炊き』
さっそく購入して、ガスコンロで炊いてみました→ ≫画像

炊きたてなので、米粒はツヤツヤに立ってますし、周囲にはあの懐かしの“お焦げ”も薄っすらできています。初回一発目から大成功でした。百均で『白米/無洗米兼用軽量カップ』と『キッチンタイマー』と『直径16cmぐらいの丸いコルクボード(机が焦げてしまわないよう)』も揃えておくと、いちいちお茶碗に移し変える必要もなく、そのまま召し上がれますので超便利。ウチの近所の酒屋さんには樽に入れた玄米も販売していて、1kgから希望分だけ都度精米してくれますし、これはハマリそうな一品です。特に独身・一人暮らしの方にはオススメです。

※注:この炊飯土鍋は電子レンジやIH調理器には対応しておりませんのでご注意下さい。

普通の暮らし

今日は画像がありません。というより、載せられる画像がありません。

私たちはたとえお給料が安くとも『働ける仕事』があり、『帰られる家』があり、限られた収入の中でもわずかな『お金』があり、贅沢はできなくとも『食べる物』があり、『携帯電話』や『車(ただ私は持ってませんが)』もあり、ごくごく普通に暮らせています。

阪神淡路大震災の時にも感じたことですが、このいわゆる『普通の暮らし』すら出来ない人々が今、東日本(3.11)や長野(3.12の地震)・新潟(融雪による土砂崩れ)にはたくさんおられます。『働く仕事を奪われた』・『家が流された』・『放射能の警戒区域で帰宅できない』・『仕事がないからお金もない』・『食料すらままならない』人々が、この同じ日本にたくさんいらっしゃいます。

人にはそれぞれ悩みもあるでしょうから一概には言えませんが、「お給料が安い」とか「彼氏・彼女が欲しい」とか「ダイエットしたい」とか、いま『普通の生活すら出来ない人々』から比べれば、なんて小さく贅沢な悩みなのだろうと感じます。

そりゃ私にも色々悩みはあります。「あの時こうだったら」と悔やむことも多々あります。しかし一日を何事もなく無事に終え、家に帰り妻の遺影と一杯やれる『普通の暮らし』を保てていることを、本当に心から「ありがたい」と感謝しながら、長い人生の中のほんの一日を過ごしています。

まだまだ寒い東北の雪の中の仮設住宅で、未来への展望すら描ききれない方々の映像を観るたび改めて『普通の暮らし』のありがたさが身にしみます。取り留めのない話ですみませんでした。

3.11から一年



2011年(平成23年)3月11日14時46分、東日本の海底奥深くでタガが外れました。日本における観測史上過去最大規模のマグニチュード9.0、南北約500km:東西約200kmにも及ぶ、巨大海底地震とその後の大津波により、東北地方から関東地方にかけて甚大な被害が発生しました。まるで映画『日本沈没』をリアルタイムで観ているような衝撃でした。1.17=阪神淡路大震災の死者+行方不明者数が6,437名だったのに対し、東日本大震災の死者数は15,854名、行方不明者数も3,203名、計19,057名と阪神淡路の時の比ではありません。また被害総額すらいまだ算定できる状態にないのが現状です。

ただ、ごっちゃに考えてはいけない大切なことが、1つだけあります。
地震や津波は『天災』ですが、東京電力福島第一原発の事故は『人災』だということです。

福島第一原発の事故処理に「40年はかかる」と言われている中で、「原発の再開は?」とか「ストレステストがどうのこうの」と歴史から何も学ぼうとしない愚かな人々には、「あんたら自身の頭ん中をストレステストしたら?」と言いたいぐらい腹が立ちます。

ヨーロッパ唯一の完全中立国:スイスの連邦行政裁判所も、福島第1原発と同型のミューレベルク原発を停止する行政裁判命令を発令しました。“何かコトが起こってから”では=遅いのです。原発のように特に危険性の高いものほど、“コトが起こる前に”事前に備えておくのが当たり前。いまだに格納容器建屋も無残な姿のままさらしている今この時期に、「他の原発の再稼動の時期は?」などもっての他の話です。

今回の震災は今後の世界のエネルギー政策にとって“大きな方向転換へのきっかけ”になることでしょう。一年経っても何にも進めることが出来ていない政府を尻目に、民間(ソフトバンク・シャープ・JR九州・近鉄など)は次々と『メガソーラーへのエネルギー転換』を積極的に進めていっています。『化石燃料』にも『原子力』にも頼らない未来が来ることを、望んでやみません。

改めまして被災された方々には、本当に心よりお見舞い申し上げます。
14時46分、黙祷。。。

下山の思想

下山の思想五木寛之氏著『下山の思想』


『下山の思想』本文内より部分抜粋

「私たちは、すでにこの国が、そして世界が病んでおり、急激に崩壊へとむかいつつあることを肌で感じている。知っている。感じている。それでいて、それを知らないふりをして暮らしている。感じていないふりをして日々を送っている。明日のことは考えない。考えるのが耐えられないからだ。いま現に進行しつつある事態を、直視するのが不快だからである。明日を想像するのが恐ろしく、不安だからである。しかし、私たちはいつまでも目を閉じているわけにはいかない。事実は事実として受けとめるしかない・・・」


五木寛之氏の『下山の思想』を読んだ時、思わず『ファウンデーション』を連想してしまいました。『ファウンデーション』とは、今からちょうど70年前の1942年に、故アイザック・アシモフ博士が書き始めた『ファウンデーション-銀河帝国興亡史-』。銀河帝国が繁栄の絶頂期を下り始めた時代、一人の老学者:ハリ・セルダンが、膨大な集団の行動を予測することのできる心理歴史学を作りあげ発展させることによって、銀河帝国が近いうちに崩壊することを予言し行動を起こすという壮大なSFストーリーです。

『ファウンデーション/第一巻/第一章「心理歴史学者」』の中で、「まもなく銀河帝国は崩壊し、その後非常に長期に渡る暗黒の時代が訪れます」と心理歴史学を用いて証明したセルダンに対し、その現実を受け入れたくない帝国評議会は、帝国崩壊を公言し平和を乱したという罪でセルダンに「死か?」「追放か?」の選択を迫られるシーンから始まります。“人”はどうやら「受け入れたくない現実に対し、目をすらすか耳をふさぐか口をつぐむか」という習性が備わっているようです。


日本人はもともと“農耕民族”でした。大地に根を張り、土を耕して歴史を作ってきました。あちこち移動し狩りをしながら生活してきた大陸の“狩猟民族”よりはるかに“土地に対する執着が強い”のもそのためでしょう。だから「ここは我らの領土なり!」と戦国時代になってからは「○○の国は我が手にあり!」という土地と権力の奪い合い合戦が始まったのです。

黒船が来航し、江戸時代が幕を閉じ、鎖国をやめ、新たに世界の一員となってからも、日本人の“土地に対する執着心”だけは残り続けました。日清・日露戦争で満州を自国の領土とし、第二次世界大戦(太平洋戦争)に突入してからも台湾・フィリピン・ベトナム・タイ・ビルマ(現在のミャンマー)などまで次々と領土を広げつつある真最中に、突然終戦の日を迎えました。この時点で日本人は『山』というよりも一つの『崖』から転げ落ちてしまったのです。

そして昭和20年以降、日本人は自らの持つ“根気強さ”を武器にさらに磨きをかけることによって“あらゆる方面での技術”を発展させ、自らの社会システムを再構築し、たった40年で昭和60年代には頂点を極めることとなり、日本中が有頂天=いわゆるバブル期が到来しました。これも一つの時代の『山の頂』でした。私も青春時代をバブル期の真っ只中で生きた世代の一人でしたので、あの頃の話を今の若い人にしても「絶対ウソや!」となかなか信じてもらえないのですが、本当にそういう時代はあったのです。



ここで、五木寛之氏の『下山の思想』に話を戻します。
いわゆる『登山』には、3つのステップが存在します。
 1)山を登る
 2)頂上を極める
 3)下山する
この3つのステップをすべてクリアして初めて、「○○山に登ってきたよ」と言えるのです。

一度『山の頂』を極めてしまったら最後、そこは言い換えれば360度どちらを見回しても後は『下り』しか進む道が残されておらず、現在の日本はちょうど『下山を始めてしばらく下りた所』ぐらいの位置にあります。悲しいかな、私を含む私以上の“バブルを経験した世代”の人の中には、昔の頂上を懐かしんだり、過去の繁栄を取り戻そうとする方もおられますが、それは“時間”という問答無用で押し流されていく大河を逆に上流へ向かって泳ごうとするほど徒労に終わってしまうでしょう。

1)山を登るという右肩上がりの時代に作られたシステムは、3)下山している途中の現代ではもう通用しません。その最たるのが『年金問題』。「その時代の現役世代が、その時代の引退世代を支える」というシステムは、「社会経済が右肩上がりである」という前提条件が必要ですが、「若者は働きにくくなってきて」「結婚より独身を選択する人々が増えてきて」「子供の数も年々減り続けていて」「引退世代の人口はどんどん増え続けており」「経済や雇用は海外に流出し続けている」という現代に昔のシステムを当て続けようとする場当たり的な政府の対応は、メートル法で作られた物を寸尺定規で直そうとするぐらいナンセンスな話です。

バブル崩壊から失われた10年の間に“阪神淡路大震災”を経験し、「さぁこれから立ち直るぞ」という段になっていきなり“リーマン・ショック”という世界的規模の落石に見舞われ、それでも「今度こそ!」と思ったとたん“東日本大震災”に襲われ、“津波”+“原発事故”というまるで雪崩のような事態に巻き込まれ、それこそ治癒に何十年もかかるような大怪我を負ってしまった・・・これが今の日本の『下山の現状』でしょう。世界を見渡しても、アメリカも経済は疲弊したままドルもまだまだ低い水準ですし(昔は1ドル=360円という時代もあった)、ギリシャに端を発したユーロ危機も他の加盟国が一時的に手当てしただけに過ぎず、相変わらず予断を許さない状況ですし、中国の経済成長率も鈍化傾向にあり、南米やアフリカ大陸など南の国々は相変わらず貧困にあえいでいます。

『原発問題』にしても、「雇用がなくなる」とか「補助金が下りなくなる」とかいう目先の問題以前の問題として、『核』は人類の手ではコントロール出来ないモンスターであり、「ヒロシマ」「ナガサキ」に続いて「フクシマ」と3回も被爆した世界中でただ一つの国=日本は「反原発」でなく「非核」を世界にアピールする先導的な立場を展開しなければならない国であるはずなのに、いったい雲の上の人々は何をやっているのだろう?と不可思議でなりません。NHKの国会中継や日曜討論を観てても、そんな「原発再開をどうする?」などというくだらない議論に費やしている時間を、どうして次の世代のエネルギー開発や普及のための話し合いの時間に使わないのか?と理解不能です。



【『下山』は『登山』より難しい】

『登山』には“頂上を目指す”という『目標』があります。「どんな方法で登るか」「どのルートから登るか」などの小差はあれど、目指すべき場所は解りきっています。
ところが『下山』には『目標』がありません。「どこへ」「どんな方法で」「どのように下山するか?」は、しっかりした目標のあった『登山』の場合よりはるかに難しく、もしも下りる場所を間違えたら大変な未来が待ち受けているかもしれないのです。

いま、私たち“日本人”は『下山』の途中にあります。いつまでも目を閉じていても、現実が目の前から消えてなくなることはありません。ですから、真実を受け入れる勇気を持ち、いかに「どこに」「どのように」軟着陸するかどうか?こそが、今の私たちに与えられた大切な“役割り”なのです。

五木寛之氏の『下山の思想』の中にも書かれていますが、『登山』の時には頂上を目指すことに夢中でした。しかし『下山の時』を迎えた今だからこそ逆に、登山の時より心にゆとりを持ち、たまには立ち止まって高原の草花を楽しんでみたり、はるかに見下ろす風景に我を忘れてみるぐらいの余裕があってもいいじゃないですか?。下りる場所が解らないなら、せっかく高くまで登ったのですから、遠くまで見渡せるはず。一度立ち止まって周囲を眺め直してみるのもいいかもしれません。

五木寛之氏の『下山の思想』には、そのようなヒントが結構含まれています。
一度、書店で手に取られてみてはいかがでしょう?。お勧めの一冊です。

Panasonicの誤算

≫パナソニックの大誤算、三洋買収で巨額損失

また大失態となった。パナソニックが2月3日発表した2012年3月期の連結最終赤字見通しは7800億円。日本の製造業のワースト記録である日立製作所の7873億円(09年3月期)に並ぶ水準だった。

パナソニックは昨年10月末、プラズマパネル工場の稼働停止に伴う巨額損失計上を発表したばかり。「ここ3カ月で2回も巨額の下方修正をするなんて、もう信用できない」。決算会見ではアナリストたちから怨嗟の声が、大坪文雄社長に向かって飛んだ。

元凶は、本誌1月28日号でも可能性を指摘した三洋電機の投資損失だ。三洋買収に投じた資金は約6600億円。5180億円という巨額ののれん代(営業権)がのしかかっていた・・・



う~ん・・・・これはゆゆしき事態かもしれません。パナソニックの巨額赤字の元凶が=三洋電機ののれん代だったとは・・・つい先日もパナソニックは新築したばかりの尼崎のプラズマテレビ用パネル液晶工場を縮小し、自動車用リチウムイオン電池の生産を加西工場にシフトすると発表したばかり。どうやらパナソニックの蓄電池と三洋電機の電池技術は根本的な“思想”が異なるため、相互に利用できる技術は少なく、融合するならゼロから設計し直さなければならないのが理由だそうです。

車載用電池ではすでに水を開けられているGSユアサやサムスン電子の背中を追うより、せっかく佐野の埋め立て地にメガソーラーの公募も決まったことですし、淡路の三洋にはよりオリジナリティーを高めた製品の開発を願うばかりです。しかし、あれだけ巨額の公的資金を注入したエルピーダメモリも破綻してしまうこのご時世。日本はいよいよ『下山』の時代を迎えたのかもしれません。

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